江 稼圃 こう かほ
   

蘭石図 
46.5p×48.5p

宝暦5年(1755)生〜没年不詳
 名は泰交、字は連山、諱は大来、号の稼圃で知られる。江蘇省蘇州の人。幼時より絵を好み、張宗蒼を師とし、ついで、婁東派の李良に学んだといわれているが、張宗蒼は乾隆21年(1756)に歿しており、疑問が残る。
 稼圃は、太田蜀山人によれば、科挙の落第生であるという。嘉慶9年(文化1・1804)に財副として来日し、以後、嘉慶20年(1815)まで船主などとして数回来日したことが知られる。
 滞日中には、同時に長崎奉行所支配勘定役として赴任していた太田蜀山人と親しく交わった。また、斎藤秋甫は、嘉慶13年(文化5・1808)の来日に際して、稼圃の肖像画を描いている。吉村迂斎・田能村竹田などと交わったほか、菅井梅関・鉄翁祖門・木下逸雲らが彼に師事した。梅関の号は稼圃より梅の図を送られたことに由来する。また『鉄翁画談』には稼圃の言葉が多数収録されており、鉄翁がいかに私淑していたか窺える。
 黄公望風の山水画を能くし、文政(1815〜)以後の日本南画に与えた影響は大きく、来舶四大家の一人に数えられる。
 「稼圃」の下に、朱文の「稼圃」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://www.matsumoto-shoeido.jp/shoga/sakuhin_98.html
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=65312
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=46615


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